粟野集落跡を訪ねて  秩父事件蜂起決定の地 (歴史を想う) 
2001/05/12  晴れ(少し暑い)

 今日、午前中は美の山(586m)のハイキングの下見を終了し秩父鉄道黒谷駅に着いたのは12時54分、1分前に電車は出た後であった。約40分ある。この間、美の山の写真をデジカメで撮りながら、ホームのベンチで到着をまつ。やっと電車到着,皆野へ向かう。(この時デジカメをベンチに忘れてしまったようだ?)皆野駅からタクシーで万松寺へ向う途中、車中で手元にデジカメが無いことに気づく。でももう遅い、もう出てこないだろう。
 カメラ自体は約3年前に型落ちした107万画素のコニカQ-M100を19.8k\で購入したのでそれほど惜しくは無いが、午前中のデータの消失とこれからの撮影が銀塩フィルムでスキャナで取り込む手間を考えると頭がいたい。(カメラはいつも2台以上持ち歩いています)

 バイパス傍の万松寺まで2500\、ここの標高は約200m、地図上の検討でも500m以上ある。高度差300m以上あり、勾配にもよるが実歩行時間は50分程度予想される。お墓の脇を登っていくと登りの道に出る。道は家の所有者がバイクで農作業に通って入るので急な所は所々、簡易舗装してある。

 道は植林がほとんどなく自然林なので明るくて良い。急で暗い杉林を過ぎた後、右側遠くに金岳が絶壁を見せている。交通の便が良ければ、良いハイキングコースになったかもしれない。極楽蜻蛉さんの山日記によると、集落はすぐのはず。水場らしき所を過ぎると右手に一軒の廃屋が見えてくる。畑らしき跡は草が伸び放題だが一カ所だけ若干、草が倒れている。そこを歩いて見に行く。耕耘機がさび付いたまま放置されている。どうやってここまで運んだのだろうか、ガソリンはどうしたのかと考えてしまう。
手前に錆びた耕運機がある
最初の家、テレビが転がっている。放棄はCHつまみがあるので15年以上前であろう。 2軒目、現在も作業小屋として使用か?

 さらに登って行くと左手に畑がありよく耕されている。少し先に道標があり、「解説板」、「室久保へ」とある。室久保方面は踏み跡が無くすでに廃道のようである。城峰山への道標は無いがこちらの方が良く踏まれている。今回は15時近く、登山は無理だ。解説板の方へ向かう。2軒の家が見えてくる。
2軒目の中、昔の脱穀機がある 3軒目、逆光でハレ発生。バイクが置いてある。

解説板には「秩父事件蜂起決定の地」の説明があり、西へ下れば半根子、北へ下れば阿熊、南へ向かうと井上(来たところ)。要するに昔は歩いていたので峠のような場所が各地から集まり相談するのに、都合が良かったのだ。でも自給自足のような生活ができなくなった現在、車が通れないことは致命的。住人も放棄を余儀なくされたのであろう。

 2軒とも良く手入れがされ作業小屋として使用されているようだ。一軒にはオフロードバイクがおいてある。言い忘れたがタケノコ堀に数人が登ってきて一軒を休憩所にしているのだ。もうこの先には家は無いとのこと。

 高度計を見ると粟野(あわの)集落付近は550mである。下りはさすがに早く30分程度で万松寺まで戻れる。所用時間は1.5時間であった。(山慣れない人は2時間以上見ておいた方が良い、低山ハイキングと同じレベル)万松寺でタクシーを呼ぶ。場所でさっきの人でしょうとすぐわかったようだ。帰りのタクシーから午前中登った美の山が大きく見える。あれと同じ高さまで今日は2回登ったのだ。料金は迎車料込みで2900円であった。
事件のとき、何を見ていたのだろう秩父事件を見ていた道祖神 今も、旅行く人を見守っている。
自然をさすらう walking(流浪)
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