上武鉄道跡地   秩父鉄道から名前をもらった鉄道 2001/4/28  快晴(暑い

八高線丹荘駅西側に残るホーム跡

上武鉄道の歴史
昭和16年9月:日本ニッケル(現朝日工業)の貨物専用線として開業
昭和22年5月:旅客運送開始
昭和47年12月:旅客数の減少により、旅客運送中止
昭和61年12月:鉄道ファンに惜しまれながら廃線。

 地元の人はニッケル線と呼んでいたようである。
 駅は3つあり、神川中学校前、青柳、寄島である。青柳だけは駅名標識が残っていない。
JR丹荘駅 信号制御盤 踏切制御盤 線路跡の左カーブ 右に八高線
未舗装の跡地 緑道になる 神川中学校前ホーム跡
ここから盛り土 線路橋 土塁の様子 線路際の花の家
物干しとなった寄島ホーム レールが残る踏切跡 緑道終点 横へ回る
神流川沿いの跡地 終点間近 横から見た鉄橋 工場へつながる鉄橋
 上武鉄道は県道上里鬼石線(22号)に沿ってあり、JR丹荘駅前に立つと誰でも跡地を見つけることができる。丹荘駅前では遺構が多く残ってあり、これからの探検に期待を待たせたが途中はただの道路、遊歩道になっていた。最後の鉄橋を渡ろうと考えたが、横から見ると川底まで5m位あり途中で動けなくなりそうでやめた。 今回の取材では76枚の写真を撮った。フィルムだったらこうはいかない。プロなら4から5本は撮っているだろう・今回でも別の角度からのがあればと思ったのが数点ある。
 丹荘駅へ八高線を利用して行こうとしたが時間が合わず高崎線周りにした。JR本庄駅についたのが10:10、バスは毎時00分、50分もある。仕方なく\2700のタクシーを利用。痛手がおおきい。でもタクシー会社には良かったかも。連休中は会社が休みでお客が激減とのこと。運転手さんには雑誌の取材と思われたようだ。領収書が必要ですかと聞かれた。取材は丹荘駅周りの撮影から始まり、終了がは12:10ころ。バスは毎時59分、またしても時間が合わない。同じに道を歩くのもどうかと考え金鑽(かなさや)神社脇の峠を越えていく。このコースは以前ハイキングで歩いたのでコースもバッチリ。青柳小前でちょうど13時。ここでバスを待つことにした。13:04から数分遅れでバス到着。本庄まで\490なり


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